性的虐待からくる生きづらさを知る

性的虐待を受けてしまった私たちは、さまざまな生きづらさを抱えています。しかし、今抱えているこの生きづらさを減らす方法は、確実にいくつか存在するとわたくし管理人は考えています。

 

性的虐待を受けてしまった私たちは、どのような生きづらさをを抱えているのでしょうか?

 

PTSDに悩むかた、家族を含む人間関係が壊れてしまったり新たな関係を築くことが難しくなってしまったりして、孤立したり孤独感にさいなまれるかたもいます。加害者だけなく、男性や、人間自体を信じることがこわくなってしまうかたもいます。仕事ができなくなってしまうかた、日常生活をおくることさえ難しくなってしまうかたもいます。

 

 これらは、私たちの身に起こってしまった被害から発生する生きづらさです。

 

性的虐待が起きない家庭に生まれ育ったら、どんな人生を送れたのか、つい考えてしまいます。でも、これをまったく何もなかったことにすることは、残念ながら、ほんとうに残念ながら、できないと私は思っています。

 

でも、この生きづらさをを減らす方法は、確かにいくつかあるのです。

 

それは、カウンセリングを受けることかもしれません。この被害をしっかり受け止めてくれる人との出会いかもしれません。効果の高い心理療法を受けることかもしれません。

 

その方法のうちの一つとして、この「陽だまりのガゼボ」のような、性的虐待の当事者たちで作るセルフヘルプグループがあります。セルフヘルプグループは、自分の身に起こったことやそれについて感じたことを、安心して、否定されず、正直に語り合う場です。

 

ではなぜ、性的虐待被害者だけのセルフヘルプグループが、生きづらさを減らしてくれる方法のうちの一つなのでしょうか?

 

それは、性的虐待という被害の特異性にあります。

 

「性的暴力を受けたことがある」と自覚している女性は、この国ではかなり高い割合にのぼると思います。ある統計によると、望まない性交をされた女性は13人にひとりです。それを考えると、加害者が親族ではない場合ならば、被害者が誰かに被害について打ち明けたとき、「ああ、そんなことがあったんだ。わかる。そういうことって起きるよね」と受け入れてもらえる可能性は高いと思われます。

 

しかし、加害者が親族の場合、受け入れられない可能性が高いのです。

 

「血がつながっているのに、そんなことはありえない」

「だとしても、親を大切に思えないなんてひどい」

 

「親をうやまうべきだ、孝行すべきだ」という有無を言わせない圧力に、まだまだこの社会はおおわれています。そして、ちゃんとした資格を持ったカウンセラー、公的機関や非営利団体の相談員でさえ、性暴力被害についての研修は受けてはいても、それが親族からの加害であるとわかったとたん、なぜか加害者を擁護しはじめることが、悲しいことですが、実際にあるのです。

 

だからこそ、親族からの性暴力被害である「性的虐待」について、ほんとうに安心して話せる場は大切だと私は考えています。

 

語ることで、また同じ体験を持つかたの語りを聞くことで、だんだん、自分が受けたことはただのいたずらではなく、大きな影響を与える被害だったのだ、自分の感情はおかしくない、と納得することができるでしょう。

 

納得しても、すぐに生きづらさをが減るわけではありません。でも、自分の体験の意味を納得でき、そこから一歩踏み出すきっかけになると思っています。

 

本来なら、というか理想的には、この社会そのものが、「陽だまりのガゼボ」のようなセルフヘルプグループの役割を果たすものであったら、ほんとうにみんなが生きやすくなるでしょう。性的虐待の体験を、例えば友人に打ち明けたら、「そういうことって、起こるよね。ひどいね」とだけ、反応してもらえるような社会だったら、どんなにいいでしょう。そんな社会だったら、性的虐待の被害者だけでなく、さまざまな種類の生きづらさを持った人も、同じように生きやすくなるのではないでしょうか。

 

そんな社会になったらいいなと思いながら、いまのところは、私は安心して語れるセルフヘルプグループで同じ体験をしたかたと思いを共有し、少しづつ踏み出しています。

 

陽だまりのガゼボ管理人 祐理(ゆうり)